愛知県の寺社といえば、お伊勢さんに次ぐ格式を誇る熱田神宮や宮城を発祥とする塩竈神社が有名ですが、こと安産祈願に出かけるとなれば、他にもおもしろい由来を持ったところが数多くあります。有名どころと合わせ、特徴的でしかもお参りしやすい愛知県内の安産祈願スポットをご紹介します。
この記事の内容
三種の神器を祀る名古屋市民のオアシス 熱田神宮 〜愛知県名古屋市〜
都会の中にありながら威厳と静寂さを保つ、市民憩いの社。
天照大神などが祀られ、古くから格式の高い神社として有名でした。今から1900年あまり前のこと。第12代景行天皇の時代、日本武尊がこの地へ草薙(くさなぎ)の剣を残したまま、三重亀山で亡くなられます。
お妃であった宮簀媛命(みやすひめのみこと)はその遺志を重んじて当地に神剣を祀りました。これが熱田神宮の始まりです。
境内は「雲見山・蓬莱島」の別名でも知られ、緑にあふれた市民憩いの場所です。面積は約6万坪、クス・ケヤキ・カシなどの広葉樹が大いに茂り、とくに樹齢千年を超えるクスの大木が各所に見られます。
中には変わったエピソードを持つ木もあり、花は咲けども実がならない「ならずの梅」、弘法大師が植えられたとされる「大楠」などがよく知られています。
境内、境外合わせて40以上の摂社、末社があり、主な祭事だけでも年間に70あまり行われます。高い格式とは別に庶民の暮らしや産業に結びついた祭事も多く、市民に親しまれた大神社と言えます。
平成21年に本殿の改修が終わったばかりで、今は神宮のいっそう美しい姿を拝むことができます。
勇壮な祭りで賑わう子守の社 挙母神社 〜愛知県豊田市〜
子守明神が勧請されていると伝わる、子授け安産の神社。
創建当時の詳細は不明ですが、文治5年(1189)、源義経の家臣だった鈴木重善が奥州の義経の元へ向かおうとしていたところ、義経死すの一報を聞いてこの挙母(ころも)の地にとどまり、やがて大和国吉野から「子守明神」を勧請して祀ったとされますが、他にも諸説あるようです。
この「挙母」という名前は大変珍しいものですが、元は地名であり(現在は豊田市)、さらに古くは「衣」と書いたようです。古事記にも「三川の衣の君」という記述があり、これは「三河の衣氏」という人を指すのだとか。
神社以外にも小学校など今でも「挙母」の名を残す施設がいくつかあります。
挙母神社で有名なものと言えばやはり秋の「挙母祭り」でしょう。神社例祭として寛永年間に始まった祭りは、各町から飾り山車が奉納され、子ども歌舞伎が上演されるなど、最盛期はたいへんな賑わいだったようです。
その後倹約令や児童演芸の禁止令などが発せられたため規模が縮小し、現在では10月第3土曜日の試学祭を皮切りに、翌日曜日の本楽祭、夕刻の山車「泣き別れ」までが主な内容となっています。
塩の神は進むべき道を示す教えの神でもある 塩竈神社 〜愛知県名古屋市〜
この国に初めて「製塩技術」を伝えたとされる盬土老翁神(しおつちおぢのかみ)を祀る安産の神社。
今から170年あまり前、宮城県塩竈市の「盬竈(しおがま)神社」より勧請されたのが始まりで、塩業、漁業の神として信仰されました。また潮の満ち引きは女性の出産にも深く影響するとされることから、のちに満潮時の安産守護としての役割も果たすようになりました。
神話の世界において盬土老翁神は、名前通りの塩の神という以上に、人物たちに以後とるべき道を示す重要な役割の神として登場します。本家の宮城・塩竈神社にまずタケミカヅチとフツヌシノカミを導いたのはこの盬土老翁神であり、タケミカヅチらがいなくなった後も、自ら地元民に製塩や漁業を教えたとされます。
また神話・海幸彦山幸彦の中では、海幸の釣り針をなくして困っている山幸の前に現れ、彼を小舟に乗せて「このまま進み、あとは海の神に頼みなさい」と告げた老人として登場しますし、日本書紀の中では神武天皇に東征を進言する場面が描かれています。
御幸山の中腹に位置する神社は東側が開けて眺望がよく、春は桜、秋は紅葉が美しい景勝地でもあります。
家康公ゆかりの由緒ある産土神 六所神社 〜愛知県岡崎市〜
こちらも塩土老翁命を祀る安産の神社。松平家発祥の地である松平郷六所山一帯は三河国三霊山のひとつとされ、お山自体を神とする信仰の場であったようです。
今から650年ほど前、その松平郷に奥州塩竃六所大明神を勧請したのがもともとの六所神社(現在の豊田市)で、そこから徳川家康公の祖父・松平清康公により当地へ勧請されたと伝わっています(家康公も勧請・遷座したなどの諸説あり)。
戦国時代に入っても当地を治めた松平家の崇敬は厚く、ことに家康公(竹千代君)誕生の折には産土神として拝礼しています。
家康公だけでなく、のちの3代将軍家光公もまた石高寄進に加えて社殿の造営などを行いました。本殿、拝殿などが連結され、華麗に彩られた権現造りは主にこのときの造営によるもので、昭和の大修復を経て今にその姿を伝えています。
ご参拝の折には、ぜひ「母子犬」の銅像にも立ち寄ってください。平成22年に奉納されたまだピカピカの像は、仲睦まじく寄り添う2匹の親子犬で、立て札にも「安産を祈願して撫でてください」とあります。
とくに母犬のお腹あたりを撫でるとご利益がてきめんかもしれませんね。
不思議な伝説にまつわる犬の神社 伊奴神社 〜愛知県名古屋市〜
名前の通り、伊奴姫神(いぬひめのかみ)らを祀る安産子授けの神社。
伊奴姫神は農業の守護神・大年神(おおとしのかみ)の后で、社名の由来ではあるものの、直接「犬」と関わる方ではありません。どちらかといえば「稲」とのつながりが強く、今から1300年以上前、収穫した稲を皇室へ献上する際に建てられたのが当神社であるといわれます。
神社と「犬」との関わりは、ある伝説から来ています。当地で稲作が盛んだった古い時代、ある旅の山伏が伊奴村にとどまり、村人から洪水の話を聞きます。そこで一泊の恩義に御幣(ごへい)を立てお祈りをします。するとその年は洪水がなく、不思議に思った村人は禁を破り、その御幣を開けてしまいます。
中には「犬の絵」と「犬の王の文字」が入っていましたが、これでご利益がなくなったのか、村は再び洪水に見舞われます。そこへまた山伏が現れ、今度は「御幣を埋めて社を建てなさい」と言い残して去ります。この社が伊奴神社の始まりであり、以後は洪水もなく米がたくさんとれるようになったといいます。
伊奴神社は当初災難除けの社として始まり、その後「犬」が安産のシンボルとなったことから安産祈願の神社へと発展していったようです。
地下鉄 鶴舞線 庄内通駅下車 徒歩約10分
犬山の地に鎮座する濃尾の総鎮守 針綱神社 〜愛知県犬山市〜
尾治針名根連命(おわりはりなねむらじのみこと)という神を主祭神とする安産の神社。この主祭神は古い時代の豪族・尾張氏の氏神とされ、県内では針名神社(名古屋市天白区)にもその名が見える地元ゆかりの神です。
神社創建当時の様子は不明ですが、延喜式の記述などから1000年以上の歴史があるといわれています。当初は今の犬山城天守閣のあたりに位置していましたが、築城の際に東の白山平(現・小島町あたり)へ遷座し、現在の地に移ったのは明治時代のことになります。
この神社が安産信仰で有名になったのは戦国時代からで、織田信長公の叔父に当たる織田信康公が安産と延命長寿を祈願して、手彫りの犬を奉納したことに始まります。
今も現存している犬の像を見ると、素朴ではあるものの、胴体と足の部分が別のパーツで作られるなどなかなかに凝った構造をしており、信仰の厚さがうかがえます。
また本殿西側には白い「御神馬」の像が祀られています。この馬も子育ての神として知られ、とくに一度お供えした豆をいただいて帰ると、お子さんの歯ぎしりやひきつけが治るということですから、覚えておかれるといいでしょう。
熱田神宮をはじめ、愛知県は古くから神話の世界に登場する地であり、厚い信仰が根付いている場所でもあります。
地元の少しかわいらしい神社でもかなりの歴史を持つところがありますので、ぜひお近くの寺社で安産祈願されてはいかがでしょうか。